今日も朝の台所に立つと、私は昨日と同じような気持ちになる。でも、よく考えてみると、毎日の料理は決して同じではない。同じ材料を使っても、その日の湿度や気温、そして何より私の心の状態によって、出来上がる味は微妙に変わるものだ。
大根を切りながら、私はふと手の動きに意識を向けた。包丁を握る手の力加減、まな板に響く音のリズム。この一連の動作の中に、なぜか安らぎを感じる。きっと、無心になれる瞬間だからかもしれない。日々の雑念から解放されて、ただひたすら目の前の作業に集中する時間。
お味噌汁を作る時、私はいつも出汁の香りに包まれる幸せを感じる。昆布と鰹節が織りなすその香りは、まるで私の心を優しく包み込んでくれるようだ。母から教わったこの作り方を、今度は娘に伝えていく。そんな世代を超えた繋がりを、台所で実感することがある。
夕食の準備をしていると、家族それぞれの好みが頭に浮かぶ。夫は少し濃い味付けを好み、子供たちは野菜を細かく刻んでほしがる。一つの料理の中に、家族への愛情を込めることができる。それは、言葉では表現できない想いを形にする作業なのかもしれない。
冷蔵庫の中の野菜を眺めていると、私は時間の流れを感じる。新鮮だった野菜が少しずつ変化していく様子は、まるで私たち自身の変化を映し出しているようだ。そして、その変化を受け入れながら、今日できる最良の料理を作ろうと思う。
食器を洗いながら、私は今日の家族の表情を思い出す。美味しそうに食べてくれた時の笑顔、おかわりをしてくれた時の嬉しそうな声。そんな小さな反応一つ一つが、私の料理への想いをより深いものにしてくれる。台所は、愛情を形にする大切な場所なのだと、改めて感じた。